片腕バイオリン 伊藤真波と旦那との馴れ初めは?パラリンピックに挑む理由や母との約束とは?

4日「1番だけが知っている」(TBS) 22時00分~にて片腕を失ってもバイオリンを演奏する伊藤真波(いとうまなみ)さんがご出演、スタジオで生演奏を披露。右腕を事故で失った後に看護師、パラリンピックと健常者同様、あるいはそれ以上に果敢に挑戦を続ける理由とは?また、現在は伊丹に住む裕希さんと結婚して旦那(夫)さんもおり、その間には一人娘・未海さんが誕生しています。現在娘さんは2~3歳になるお年頃です。

伊藤真波(いとうまなみ)さんプロフィール

「義手の看護師」

「北京・ロンドンパラリンピック競泳日本代表」

そして「片腕のバイオリン奏者」

片腕ながら、果敢に挑戦を続けている伊藤真波(いとうまなみ)さん。

2004年、今から15年前、20歳の時に交通事故に遭います。実習先の病院へバイクで向かっている時にトラックと衝突。トラックのタイヤに巻き込まれており、細菌の増殖を防ぐために右腕を切断します。

20歳というと、女性にとっては花盛り。

「右腕は切りたくない」

恋や仕事にもがんばりたいお年頃ですよね。人生でもっとも楽しいはずの時期に、不慮の事故で右腕を失ってしまったら…考えるだけでとても悲しいです。

実際に伊藤さんは、拒み続けたようです。そこから、左手を使い生活をする日々。

食事もままならず、怒りを両親にぶつけます。

ある日、母は意を決して「切らないと」と涙ながらに訴えます。

「自分の人生なんだから自分の口で腕を切るって伝えなさい」

「自分で切断を決めないと納得しない」とこの時、母は伊藤さんに伝えたようです。

この時、伊藤さんは「これから女の子に待っている恋愛、結婚、そして看護師という夢を諦めないといけない」と絶望。

幸か不幸か、伊藤さんは2000年より「静岡県立清水西高等学校衛生看護科」に入学するなど看護師なる勉強を続けていて、2003年に「静岡県医師会看護専門学校」に入学。事故から3年、義手をつくり2007年 「神戸百年記念病院」入職し看護師の道へ。

自分も片腕がないという障がいを持ちながら看護師として人のいのちを救う仕事をするってスゴいことですね。

パラリンピックにも挑戦

さらに、パラリンピックにも挑みます。

実は5歳の時から水泳をしていたということもあり、22歳の春、北京パラリンピックに出場し、100メートル平泳ぎで見事4位に入賞。

「自分で起き上がって這い上がれる人間になりたい。嫌なこと、辛いことがあってももう言い訳しない」(引用:住みたい街 伊丹

と不屈の精神で立ち上がるのです。

事故から2年しか経過していないのに、20代前半でここまで自分の発言に責任を持って行動に移せる人などいるのでしょうか。

しかもその後は、

  • 2010年 アジアパラリンピック  100m平泳ぎ 2位
  • 2012年 ロンドンパラリンピック 100m平泳ぎ 8位

と挑戦しています。

旦那との馴れ初めは?

こちらの投稿にもあるように、伊藤さんには娘さんがいらっしゃいます。

16年4月に誕生した長女の未海さん。今年の4月で3歳になりますね。

旦那さんは、伊丹に住む裕希さんと出会い結婚されたようです。

馴れ初めについては、詳しいことは語られていませんが、伊藤さんを支える旦那さんもきっと素敵な方なのでしょう。

片腕のバイオリニストとして再スタート!

幼少期にバイオリンを演奏していたようなのですが、母を喜ばせたいという思いで、母の好きなバイオリンを再開させています。

その根源にある母への思いとはいかなるものなのでしょうか。

伊藤さんがバイオリンを習い始めた理由は「精霊流し(さだまさし)」を母親のために弾いてみせるという約束だったのです。

母親との約束を忘れていたなんて、右腕がないといえど、母親との約束を守るという思いで近畿にある義手製作会社を訪ねます。

バイオリンを弾く義手は作ったことがないのですが、伊藤さんの思いに押されて、製作会社の方もその思いに答えるように製作に取り組みます。

試行錯誤する中でようやく義手も完成。

6年後、2015年10月17日、この日は伊藤さんの結婚式でした。

自身の結婚式を母親へのサプライズ発表会いん選んだのです。

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